No.431 昭和小学校と野尻川 昭和54年11月10日に落成した現在の校舎です。 昭和55年3月31日に下中津川小学校,大芦小学校,喰丸小学校が統合し,昭和小学校となりました。 平成14年には,小野川分校が統合され,村唯一の小学校となりました。 児童数は,37人ほど。 村全体で小学生が37人とはとても淋しいです。 |
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No.432 昭和中学校と野尻川 中島屋の裏から見た昭和中学校です。 今年の新入生は,5名とのこと。 村全体で中一が5人とはこれまた淋しいです。 野尻川の工事も進んでいます。 これでは解禁してもイワナは棲めなそうです。 これまた淋しいことです。 |
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No.433 中島屋さんの魚拓 中島屋さんの玄関には,たくさんの魚拓が飾られています。 30センチ,40センチ,50センチ,60センチのイワナやヤマメの魚拓です。 ここを定宿にしている釣り人たちの歴史が見えます。 魚拓を眺めながら,あの方たちは今どうしているのかなあ。 昔が懐かしく,古い記憶を蘇らせてくれる魚拓たちです。 |
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No.434 中島屋さんの玄関 玄関には,宿のおじちゃんが撮影したイワナ,ヤマメの写真もたくさんあります。 かつては釣り人が,大物を釣ったり,大漁だったりするとおじちゃんが嬉しそうに写真に収めていました。 古い写真は色あせて,白黒写真のようです。 昔,たくさん釣れた頃の写真ばかりです。 持ち帰りの魚は最小限,写真は現場で撮って,魚はリリースするよう心がけたいものです。 |
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No.435 シドケ 中島屋さんの朝食に,シドケが出ました。 タラノメと並んで,山菜の王様と言われています。 香りが強く少しほろ苦さがありますが,それが魅力の山菜です。 正式名は葉の形が「もみじの葉」に似ていることから「モミジガサ」と言いますが,この辺ではシドケが一般的な呼び方のようです。 爽やかな朝に,春の味を堪能させてもらいました。 |
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No.436 代官清水 遙か昔,村の視察にきた幕府巡見使の一行が途中ここで休憩し,この清水で喉を潤したそうです。 あまりのおいしさに,代官にこれを保護するよう申し入れたという名水です。 枯れることなく湧き出ています。 柔らかく,まろやかで,遠方より汲みに来る方も多いです。 長期保存が利くので,いつもポリタンクに汲んでお土産にしています。 昭和村の銘水10選の中では1番ではないでしょうか。 |
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No.437 矢ノ原湿原 矢ノ原湿原は,貴重な動植物の宝庫です。 矢ノ原沼を中心とした高層・低層湿原には約280種類の植物が群生していることから,村の天然記念物及び福島県の自然環境保全地域に指定されています。 湿原は農道を境界として南北二つのエリアに分けることができ,南湿原には稀少なハッチョウトンボや絶滅危惧種のマダラナニワトンボのほか,モリアオガエル,アカゲラなど多彩な昆虫や野鳥が生息しています。 北湿原には,ミズバショウやワタスゲなどの植物を見ることができます。 |
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No.438 野村新平墳墓の地 矢ノ原湿原の傍らにある「野村新平 墳墓の地」の碑です。 明治元年9月24日,この地で新政府軍と会津藩寄合朱雀三番隊との間で激戦がありました。 野村新平は、この寄合朱雀三番隊の半隊頭でした。 侵入してきた西軍に奇襲をかけ追撃するも,この地の戦いで野村新平は戦死しました。 会津藩士 野村 新平 朱雀三番寄合組隊鈴木隊半隊頭 町奉行 二百石 25歳。 |
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No.439 戊辰の役古戦場 矢ノ原湿原に隣接する戊辰の役古戦場です。 9月24日朝8時頃,田島方面から進撃してきた会津藩の奇襲を受け,西軍は敗走し下中津川方面へ退却しました。 これを追って会津軍朱雀三番寄合組隊,鈴木隊長以下約25名がこの付近まで進撃して来た時,軍を立て直した西軍が逆襲し合戦となり会津軍は少数不利となり,大芦へ退却します。 この時の戦で会津軍野村新平はここで戦死しています。 2日前に,本城の鶴ヶ城が既に降伏していることなど,野村は知るよしもありませんでした。 |
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No.440 カタクリ この時期になると,渓流沿いに可憐で美しい花を咲かせます。 下向きに咲く姿が,控えめで愛らしいです。 渓流でなくとも,昭和村のあちこちでごく普通に見ることができます。 ユリ科の多年草です。 食用とのことですが,とても食べる気にはなれない春の花です。 「イワナ雑記」メニューに戻る |
109.昭和村見聞記(45)2014年5月11日の昭和村